2012-09-26

承認欲求とかそんな感じの

評価されるというのは単純に嬉しいもので。それはもう前提としてありますが。それはそれとして自分語りです。

"私を"好意的に評価してくださる方の気が知れない。

面白いとかファンだとかウケるとか、褒められる機会が少なく慣れていなくて、また少ないながらでも存在し、慣れていない故に理解ができない。私に評価できる点なぞあるのかと。

何かを創作し、私の手を一旦離れたものに対する評価ならいくらでも理解できるが、私自信を指しての評価はどうも理解できない。あー、悪評であれば理解する。嫌になるほどできる。なので理解できないのは好評についてだ。

私自信が自己評価がとても低いせいかと思っている。客観的に見て、社会的立場は最悪だ。人格はどうか、人格がろくなもんじゃないからこんな社会的立場なのだろう。

なんというか、「どうせ私なんて駄目な人間だ」といじけて言うのではなく、受け入れ認めた上で駄目人間だと自己評価しているので、そんな人間を指して好評価があるというのは、どうにも座りが悪い。

"面白い"と知人に言われれば、特に面白くはないだろ、もっと面白いのいっぱいいるだろと思うし。 "ファンだ"と言われれば、何の?!だと思うし。女子大生に"モテるでしょ・昔モテたはず!"とかマジくさく言われれば(嬉しゅうございました)、世辞を使いこなす大人だとか、嫌味かとか思うし。

なんというか、筋の通った論理無しには他者からの高評価は受け入れられない、と構えているのが私。自分に対して卑屈が過ぎるのか、他人に対して猜疑が強いのか両方か。

この文章も求めているのはきっと、最低なんかじゃないよと、褒めてほしいチヤホヤしてほしい承認欲求とかなんとかを満たしてほしい、そんな欲は間違いなく有るのだろう。
理解できないという気持ちとそれを表しておきたい気持ちももちろんあるのだが。

褒められてただ嬉しいと思えるようにできていないのは、私は何を間違えているんだろう。

2 件のコメント:

  1. 期待させて裏切るのが怖いから、かな。俺は。

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    1. あー、期待は怖いな確かに。"求められる"と応じるか否かの選択を迫られることになるしなー。

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